2021.03.12 関口団長のお便り

祐介先生、牟田さんこんばんは

 

昨日3月11日。東日本大震災から10年を迎えました。「節目」と言う言葉が聞こえてきますが、未だ2525名の方の行方が分からず、4万人以上の方が避難生活を起こっている現状は決して数字のごろ合わせのような感情になることはできません。

昨日は様々な震災関連の番組が流れていました。

久しぶりに「絆」という言葉が画面から流れるのを見ながら、もう一つ「風化」という文字が目に付くのが印象的でした。被災地の方だけではなく、復興に携わる方やスポーツ選手、アーティストの方まで、皆、口々に「風化をさせない」と訴えていました。

祐介先生、風化とはなんでしょうか。私たちにできることはなんでしょうか。

私は昨日、一日中そのことを考えていました。そして家族にお願いをして今夜の夕食は私の帰宅を待って全員で食べようと言いました。実は私の家は私の帰宅が遅かったり、息子の部活が遅かったりと、一家そろって夕食を共にできる日が1週間の中で限られています。しかし、昨晩は子供たちにも我慢をしてもらい私の帰宅を待ってもらいました。夕食時、私は突然、家中の電気を消し、災害用のロウソク2本に火を付けテーブルに並べました。そして10年前、同じように暗闇の中、悲しみの中暮らしていた東北の方々の話をしました。当時長男は6歳、長女は3歳です。世の中に何が起こって、どんな恐怖があったのかまだ理解できない年齢です。しかし、私は食事をしながら、彼らの記憶を思い出させるかのように当時の話をしました。311日午後246分の私たち家族の記憶です。子供たちははじめ暗闇に揺れる炎を楽しむかのように食事をとっていましたが、長男を抱きかかえて階段を降りた事、夜中、大きな余震で飛び起き庭に避難した事、少しずつ彼らの記憶が蘇り、私が話す言葉一つ、一つに耳を傾け、神妙に聞き入っていました。そして私は言いました。「当たり前の事が本当はどれだけ幸せなことか。しかしそれに感謝をしなさい、と言っても実はなかなかできない。震災から10年たった今、日本中で電気や水の有難さを感じて毎日生きている人がどれほどいるだろうか。父とて同じ。だからこそ、せめて311日の今日、あの時と同じ2本のロウソクを見ながら生きていること事、生かされている事に感謝をし、震災で亡くなった多くの人たちのために心から祈ろう。」「そして震災から20年が経ち、お前たちが今度親になった時、このロウソクを思い出し次の世代に語ってあげなさい。」

私なりの風化への行動がどれほどの意味を持つかわかりません。しかし、あの震災を

私たちが「過去」にせず、「記憶」のなかに刻み続けること、伝え合い続けることが大切なように思いました。東北だけではなく、全国には災害で未だ苦しんでいる方が沢山います。同じ日本人、同じ命の悲しみを決して他人事とは思わず、いつまでも記憶の中に寄り添っていきたいと思いました。

 

2021312日 ハローアルソン・フィリピン医療を支える会 団長 関口敬人