2021.09.03 関口団長のお便り

祐介先生、牟田さんこんばんは

 

 昨晩、私の地元栃木県那須塩原市で停電がありました。

 厳密に言えば私の住んでいる地域「埼玉(さきたま)地区」約500世帯の範囲だけの停電でした。夜8時40分ごろでしょうか。少し遅い夕食を家族と共に食べている途中、突然家中の電気が切れました。幸い我が家には予備電源があるため豆電球程度のあかりが辛うじてつき、妻が非常用の電灯とロウソクを用意し、携帯電話で停電情報を確認すると、復旧の見込みは約2時間後とあり、原因もわからぬままロウソクの(ともしび)のもと、食事をとることとなりました。私は以前もこのようなことがあったな、と思いながら子供たちに11年前の東日本大震災のことを話しました。電気やガスが止まり、3月の冬の寒い夜を暖炉を(とも)しながら夜中余震に怯えていたこと。計画停電があり仕事もできず、トイレも使えなかったこと。町中がガソリンや乾電池を求める人で渋滞し、テレビでは目を覆うような災害の恐ろしさが連日報道されていたこと。そして、それでも幸運にも家族が1本のロウソクのもと集まり無事に過ごせていたことなど。あの日、当たり前と思っていた全てのことが当たり前でなくなった時、私たちはいかに恵まれているかを日本中が知りました。私は停電中、不安げに食事をとる娘に言いました。「あの震災によって被災された方々、近年の豪雨や土砂災害ですべてを失ってしまった方々に比べれば、なんてことはないだろう。いかに毎日が恵まれていて、そのことに気づかないで生活しているかわかるだろう。そしていち早い復旧の為に働いている電力会社の人達がいることにも感謝をしなければいけない。」

食事が終わりリビングでロウソクを囲みながら、久しぶりにテレビも音楽もない家族4人だけの時間を過ごしました。あの震災からもう長男は高校2年生、長女は中学2年生となりましたが、未だ2526人の方の行方が分かっていません。また各地の災害で今年も多くの方が被災しました。どうか一人でも多くの安否と復興を心から祈っています。しかし、祐介先生。今回突然の停電に見舞われましたが、今時代は本当に変わりました。以前はこういう時、ラジオや町内放送などでしたが、今ではスマフォ一つで瞬時に情報や状況がわかります。息子などは停電になった瞬間に色々なサイトや仲間との連絡網で被害範囲や復旧時間などを調べてくれるものですから、私などは何もやることがなく、ただロウソクの火を見ながらウイスキーを飲むだけです。

 そして2時間後、ようやく電気がつくと、今度は家中の家電が動き出し、元の生活に戻ります。それはそれでありがたいことなのですが、なんだか味気なく感じてしまうのは私も年を取ったということでしょうか・・・。

 

 

202193日 ハローアルソン・フィリピン医療を支える会 団長 関口敬人