祐介先生、牟田さんこんばんは
サッカー・ワールドカップ、青い侍たちの挑戦が幕を閉じました。
「感動をありがとう」という言葉は彼らにとって何の癒しにもならず、敗戦後、選手たちから出た言葉は「国民の皆さんに申し訳ない」という謝罪と「まだまだ力不足」という自分たちへの戒めでした。その言葉でどれだけ彼らが背負った日の丸の重圧と、そしてサッカーにかける情熱の大きさが伝わってきます。当然ですが、日本国民の誰一人として彼らを責める者などおらず、世界中に日本人の魂と誇りを知らしめてくれたことに、心からの敬意と、やはり「ありがとう」という最大限の感謝を述べることでしょう。
また、現地で応援をしていたサポーターの皆さんも最後涙を流しながらもスタジアムのゴミを拾う姿は世界中に日本人の気品と高貴な心を示したのではないでしょうか。
しかしこのゴミ拾いに賛否があり「文化の押し付け」だとか「清掃員の仕事を奪っている」という意見もあり、中には「奴隷根性だ」という言葉も出ているそうですね。
私は様々な考えがあることに意義は唱えません。しかし、以前私はこんな経験をしました。それは十数年前、ハロアルフィリピン医療ボランティアの視察の時です。その年はスモーキーヴァレー(ゴミの谷)と呼ばれるフィリピン最大のゴミ捨て場の視察でした。
広大な敷地に一日3000トンのゴミが毎日運ばれ、その中から貧しい人々はお金に換金できる物を拾い生活をしていました。大人から子供まで約12,000人の人間が富める者が出したゴミを漁り、今日を生きていくのです。その時現地リーダーが言いました。
「以前、日本の政治家をここに連れて来た。そしてこの風景を見てもらい現状を説明した。すると一人がこう言った。「私たちのゴミが人の役に立っている。」」「私はその言葉に何も言えなかった。ただこれだけは言いたい。セキ、ゴミを拾って生きていきたい人間なんているかな?」祐介先生、上手く言えませんがゴミを出すことが彼らの生きる糧になっているとは私には思えません。ましてやゴミ拾いが文化の押し付けや、職を奪うことには決してならないと思います。フィリピンのゴミ山の問題とサッカーのゴミ拾いとは別話かもしれませんが、全ては私たちの心の在り方の問題だと思います。
そして日本のサポーターはそれを誰に強制されることなく、それを誰かに強制しているわけでもないでしょう。「立つ鳥跡を濁さず」という日本の古き良き教えが脈々と受け継がれ、美しい日本人の魂が世界中を魅了しているのだと思います。
この数日間、多くの国民がまさに夢のような興奮を味わせて頂きました。
たった1つのボールを日本中、世界中が固唾を飲んで見守り、時には笑い、時には涙し、そして新たな景色の訪れに感動しました。
「感動をありがとう」確かに既に4年後を見据えている戦士たちには不要な言葉かもしれません。しかしあえて言います。日本代表の皆さん本当に素晴らしい感動をありがとうございました。
2022年12月9日 ハロアル 団長 関口敬人