2023.04.14 林会長のお便り

祐介先生、牟田さんこんばんは。

 先週軽井沢では彼岸桜が咲きはじめたと書きましたが、今年の春は早いですね。今日はもう染井吉野桜が満開になってしまいました。もう少しゆっくりしてもらわないと長い冬がやっと明けた楽しみがなくなってしまいます。いいことは早く、いやなことはなかなか終わらないというか時間の経過が遅いです。どんな時でも一喜一憂しない心が大切なのだと思いますが、私達凡人には出来そうにありません。

 そういえば徳川家康の遺訓に「人の一生は重荷(おもに)負う(おう)遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば(こん)(きゅう)したる時を思い出すべし。堪忍(かんにん)無事(ぶじ)長久(ちょうきゅう)(もと)いかりは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くること知らざれは害その身にいたる。及ばざるは過ぎたるよりまされし。」というものです。

 こんな心境で日々を送れたらストレスは全く生じないと思います。ストレスがなければゆとりが出来てものごと全てに感謝が出来ます。まるで仏様のようだと言われるでしょう。ちょっとした努力や工夫、ときには我慢をすればこういう心境でいられるのに、そのちょっとが出来ずに長年努力して築き上げた信用を一瞬の内に失ってしまう経験はあると思います。今を盛りに咲き競っている満開の桜が強い風にあおられて散ってしまうようなものです。物事一つ一つに一喜一憂しないで大きな船に乗っているようにあわてふためかずに泰然自若(たいぜんじじゃく)としていたいものです。

でも私達はうれしいことやいいことがあるとすぐ自慢したくなります。そんなときじっと我慢をして平常心を持ち続けることは大変です。逆に不愉快な時、顔に出さないでニッコリしていることも大変です。流れる水や雲のようにタンタンと時の流れにまかせることが出来たらどんなに素晴らしいことでしょうか。生きていくためには働かなければなりません。働いていると一分一秒が惜しくなりちょっとしたことにイラだってしまいます。どんなに真剣にやっている時でも声をかけられたらよかったと思って手を休めその人の方に振り向いて話を聞いてやったらいいのに、どうしても手を休められません。相手にとってはものすごく大切なことでも聞いてやることさえ出来ません。その結果、しっかり聞くわけでもないのに気になってうまくいかないことも少なくないのです。人に声をかけられたらどんな時でも手を休め、その人の方を見て、何ですか、と耳を傾けられる位のゆとりは持っていたいものです。それが円満な人柄を作り上げ人様に信頼される人になるのだと思います。

 

 2023414

 

医学博士・歯科医師  林 春二