2025.05.02 林会長のお便り

祐介先生、牟田さん、そしてリスナーの皆様、こんばんは。

 

祐介先生、関口団長、木本先生、マニラのラハ・ソライマン・ロータリークラブ50周年記念式典出席ご苦労様でした。先生たちの参加がロータリークラブにとっても参加された人々にとってもとても感動的なものになったと思います。

私としてもラハ・ソライマン・ロータリークラブとのそもそものいきさつになった「リンペイさん」と再会してもらえたことを大変うれしく思います。リンペイさんが50年以上も前から長野県のライオンズクラブの「フィリピン・ジャパン医療活動」に協力してくれていたからこそ、この医療活動が出来ていたことを考えると「砂漠の中で水を一杯貰った」感謝を忘れてはならない人だと思います。

ライオンズクラブのボランティアの時、リンペイさんが活動中に「私の自動車でスラムを案内する」と言ってきました。そのころ私はライオンズクラブの歯科の責任者をしていたのでその時の私の動きを見ていたのだと思います。ライオンズクラブはこういう危険なところではやってもらえませんでしたが、「本当はスラムで治療してほしい」とスラムを見せてもらい実現したものです。ハローアルソン・フィリピン医療ボランティアは求められたところで活動するという強い信念がありましたから当時のリーダー、リッキーさんと共にこの活動をスタートしました。

前回「かつ丼」のことを少し書きました。今回は祐介先生が池袋に住んでいた頃のことです。近所のかつ丼屋さんだったか、トンカツ屋さんだったか、親父さん一人で開業していたお店で祐介先生がハローアルソン・フィリピン医療ボランティアの話をしてくれました。何事にも熱心な祐介先生だからこの時も熱くハローアルソンのことを語ったのだと思います。何回か通った後で「先生、これ活動の足しにしてください」と言って白い封筒を手渡してもらいましたね。このお店の単価は安かったので、「おそらく1万円くらいカンパしてくれたのかな」と思って封筒を開けて見たら、なんと「3万円」が入っていました。かつ丼を何杯売ったらこの金額になるだろうか考えると感謝の思いが強まったという話をこの放送で聞きました。どんなにいい話を聞いても全く響かない人もいる一方、こうして私たちが出来ないようなことをしてくれる人もいます。こういう人のことを通して私たちはいつも真剣に、そして誰からも信頼される人になるようにしなくてはならないということを話しました。そういう姿勢が先日の2軒の食べ物屋さんのような結果を生んでいるのだと思います。人によっては偶然だというのかもしれませんが、私はその偶然が祐介先生に重なってきているところに今の祐介先生の「(とく)」がるのだと思います。

 

沢山のボランティア活動をしている中でなぜあの時リンペイさんが活動中の私をトンドのスラムに連れて行ったのか、そしてその治療を私に託してくれたのかを考えるととても神がかり的な運命を感じます。祐介先生、これからもおごることなく謙虚に祐介先生の言うことなら喜んで協力すると言ってもらえるような先生であってくださいね。             202552日 医学博士・歯科医師 林 春二