祐介先生、牟田さん、そしてリスナーの皆様こんばんは。
5月12日月曜日、私は高校時代の同級会に参加してきました。昭和38年卒業の仲間です。ずっと20名近く参加していたのに、一番熱心な水出君が亡くなってから徐々に少なくなり今回は13名の参加でした。
一番遠かったのは埼玉県の高橋君でした。一昨年から3年連続で参加してくれています。その3年前の参加の時、自己紹介で「今癌の治療をしており、今回が最後になるかと思って参加した」と話していました。私は「大変な中、有難いな。こういう人がいてくれてこの会は維持できているんだ」と心から感謝させられました。
そして次の年、つまり去年も参加してくれました。治療は順調だということでした。そして今年はどんな報告をしているのか耳を澄ましていると「ちょっと数値が悪くなっているので明日から検査入院になるということでした。私が見る限り少なくとも3年前に会った時よりずっとよく見えました。顔色も健康だと言えばだれも疑わないレベルでした。身近にそういう人がいると「自分も・・・・」と思ってくれる人はいたと思います。私もその一人です。
今年の1月10日の早朝、トイレの後に水を一口飲むといつもと違う感じがしました。放置せず、すぐに胃腸科の先生のところに電話をしようと思ったのは同級生の高橋君の話を聞いていたことと無関係ではないように思います。
面倒見の良かった水出君の場合は腰痛の治療をしていたのに膵臓がんには気が付かず、それが分かった時にはすでに遅く手術することができない状況で、あっという間に星の国に旅立ってしまいました。「転ばぬ先の杖」本当にその通りだと思います。いくつになっても元気に活躍できることはとても素晴らしいことですが、そんな奇跡のようなことは万人に通じるわけではありません。大半の人は少し故障があったり、うまくいかなかったりするのが普通です。
65歳の時のことでした。仲の良い友人でしたから大きなショックでした。そのショックを受けた私は64歳の時脳幹出血で左半身麻痺になり、大変な状況でした。それから20年も経っているのですから命があるのが不思議なくらいです。生きているものの務めとして、水出君の供養をしようと思います。彼だって同級生にいつまでも元気でいてもらいたいと思っていると思います。
ハローアルソン・フィリピン医療ボランティアはスラムに住んでいる恵まれない人たちの支援ですが、そこで使っているハブラシ、タオル、石鹸はリスナーの皆様をはじめ、歯科医院に通院してくれている皆様方からの支援で成り立っている活動です。そのためにも皆様には元気に活躍してもらわなくてはなりません。そして活躍が終わった後には必ずその年の報告会がありますので、参加した高校生がどんなことを感じ、どんな自分になりたいか、この活動を続けている大人たちをどんな目で見て、何を感じてくれたのか、聞いてもらいたいと思います。
2025年5月16日 医学博士・歯科医師 林 春二