2025.09.12 関口団長のお便り

祐介先生、牟田さんこんばんは

 

祐介先生、大変お疲れさまでした。

98日、9日、私と祐介先生、愛知の加藤先生、岡山の木本先生の4名で、来年2月に行われる第20回 ハローアルソン・フィリピン医療ボランティア現地活動のための会議、および活動エリアの視察に行ってまいりました。

今回は台風の接近でフィリピンも断続的に強烈なスコールが降っていましたね。雷も鳴り響き、ひとたび雨が降ればあっと言う間に町は冠水しヘドロのような下水が道路を覆います。日本ならば傘を差し、なんとか濡れないように避難しますが、スラムでは子供たちが大はしゃぎで外に飛び出し、雨どいを伝う雨水を天然のシャワーにしながら頭や顔を洗っています。あるスラムではタンクに溜めた雨水を10歳ぐらいのお姉ちゃんが5,6歳の妹に何度も何度も頭から水をかけ、小さな石鹸を大切そうに使いながら誰の目を気にすることなく路上で体を洗っていました。

また、今回訪れた候補地の一つはとても感慨深い気持ちになりました。

それは、あえて現地チームのリーダーがそのように手配してくれたのかはわかりませんが、そこは2008年、17年前私が初めて団長になった年に活動を行った場所でした。現在のリーダー・リッキー氏もその年初めてマニラで最も大きいロータリークラブのリーダーとなり、日本側は会長林先生、フィリピン側は代表リンペイ氏が私達二人を引き合わせて下さった年でした。そのエリアの名は「パヤタス」。あの東洋一のスラムと言われたゴミ収集場があるスモーキーマウンテンが閉鎖された後に作られた、ゴミの谷「スモーキーヴァレー」がある地域です。リッキーが私に「セキ、覚えている?ここから私達の活動が始まったね」と懐かしむように言いました。私は断片的な記憶をたどりながら、20年という年月に様々な思いを馳せていましたが、「セキ、20年経ってもここはずっと貧しいままだ」と言ったリッキーの言葉が今でも胸に残っています。会議ではこれからのハロアルとロータリークラブの関係についても話しました。20年という年月はフィリピン国内にも多くの影響を与えているようで、沢山の地域や団体から様々な依頼や話があるようでした。しかし、リッキーが一言、「この活動はすでに日本とフィリピンのボランティア団体の枠を超えている。私達は友情という強い絆で結ばれている。そのため私達のチームはハロアルとの活動のみを優先する」と断言していました。

歓迎の食事会では皆さんが林先生にも挨拶がしたいと言われ、ビデオ通話をしました。

国境を越え、言葉や文化の壁を越え、人間の心の在り方が如実(にょじつ)にわかるボランティアによって深く繋がる友情に私は心から感謝をし帰国しました。

さぁ、いよいよ準備開始です。頑張っていきましょうね。

2025912日 ハローアルソン・フィリピン医療を支える会 団長 関口敬人