祐介先生、牟田さん、リスナーの皆さん、あけましておめでとうございます。
今年こそはという思いを新たにお正月を迎えたと思います。その気持ちを1年間続けられたら素晴らしい人生が展開するだろうと思います。しかしどんなに一生懸命やろうとしていても、いつの間にか何もしない日常に戻ってしまいます。これが私たち凡人の常です。だから自分の望むような人生にならないのです。どんなに歳を重ねて何回正月を迎えたとしても、心新たにしているだけで実践しないのなら変わるわけがありません。むしろ、何も言わずともコツコツと嫌なことを率先してやりきれるような人になったとき、その人がどんな問題を抱える人であったとしても社会的な評価はきっと高くなると思います。神様や仏様を見た人はいません。でもどうしてこんなことが起こるのか不思議に感じることはいくらでもあります。自分がやっていることを評価したり、判断したりしてくれる人が神様や仏様だと思いますが素直に認められません。良いことをしたとしても心を込めていないとすればその人の人生はたいした評価につながらないと思います。ところがどんな時にも笑顔で気持ちよく相手に喜んでもらえるように、汗をびっしょりかいて努力していると、目の前にいる人は「この人は良い人だな」と評価してくれます。目の前で起きていることですから疑いようがありません。直接見ているから褒めてもくれます。神様や仏様は直接声を出して褒めてはくれませんがちゃんと届いているのです。そして私の「徳預金」に入金しておいてくれるのです。それが「蜘蛛の糸」に出てくる極悪非道のカンダタが刑場に引かれて行く時にたった一匹の蜘蛛を殺さなかった良い行いをちゃんと評価して地獄の血の池で、もがき苦しんでいるカンダタのところに銀の蜘蛛の糸を垂らして救ってくれようとしました。ところがカンダタは自分が助かりたい一心で後に続く人たちに、これは「俺の糸」だと叫びました。その瞬間にカンダタの手の先から糸が切れて落ちてしまいました。もしもこの時「慌てるな、みんなでゆっくり登ろう」と優しい声をかけたとしたら、たくさんの人が助かったのではないかと思います。どんなときにもちゃんと評価をして良いことを行った分は貯金をしてくれています。1度何か問題が起きたとき、大きな事故にならずに命を救われるはずです。その人が「一日一善」、どんなに大きくてもいいですし小さくてもいいですから、人に喜ばれるような良い行いを積み重ねていくと誰もが手に入れることができないような幸せな人生を手に入れることができると思います。万が一の時に毎日毎日コツコツとやり続けてきた良い行いをちゃんと記録に残してくれ、自分が困ったときにそれを活用してくれるのが神様や仏様なのです。ですから新年に「今年こそは」と思い立ったことをコツコツと最後までやり続けることが良いことだと思います。こう言うと「なんだ結局神頼みか」と言われてしまいそうですが、そうであったとしても良い事は良いのです。素直に人の言うことを聞いて、素直に実行してくれる人が「徳の高い人」別の言い方をすれば「運の良い人」なのです。人生一度しかありません。こういう人になりましょう。
2025年1月2日
医学博士・歯科医師 林春二
