祐介先生、牟田さん、リスナーのみなさんこんばんは。
先週の放送で私が夜の坂道を歩き続けて最後の一歩というところで歩くのをやめて迎えのバスに乗ってしまった話が出ました。つまり達成しなければならないという考えがないのではないかということでした。それに引き換え、今回は大変な坂道を飼い主さんの応援をもらって最後まで歩き切った話を聞いて、私にも達成した方がいいという対極の考えがあるのではないかという祐介先生の言葉について話したいと思います。
今回最後まで歩き切ったのは私のそばにいたのが飼い主さんだけだったからです。長い間の関係ですから威張ることもありません。あるのはただただお世話になった感謝だけです。その飼い主さんに安心してもらうためにこのくらいのことはまだやれるという姿を見てもらいたかっただけです。そこにあるのは、ただ飼い主さんに感謝する気持ちだけだったのです。ですから何とか登り切りたいと言う欲望を出してしまいました。
祐介先生と歩いていた時は全く条件が違います。2人だけのことではなく、たくさんの人たちがこの活動に参加していました。そういう中で、あとわずかのところだったとしても、落ちこぼれを拾っていたバスに乗せてもらわなければその日の活動は終わりにならなかったのです。その人たちの為にも迷惑になるような事は厳に慎むべきです。私1人の思いを叶えるよりも、皆さんに合わせる方が良いという思いからそこで中断をしたわけです。
もう一つこういうところで最後まで歩き切ろうとするのは「どうだ、すごいだろう」という思いがあるからだろうと思います。歩き切ろうと切るまいとたいした意味は無いのです。そこを無理して我を通すのは、「実ほど頭を垂れる稲穂かな」という謙虚さが少ないからなのではないかと思います。そんな我を通すより他の人のためになる方が、はるかに価値が高いと言えるのではないでしょうか?ですから、布引観音にやっとこ登った時と、祐介先生と一生懸命夜の坂道を登って歩いた時とは全く違うのです。こういう考えがあることも知ってもらいたいと思いました。祐介先生20年以上も昔の話を良く覚えてくれていました。ありがとうございました。皆さまも周りの人とうまくやるためには我を張らず謙虚になってみなさんが喜んでくれるような生き方をしてください。
2026年6月19日
医学博士・歯科医師 林 春ニ
